時にはスピリチュアルも悪くないよね。心の逃げ道になるから。

LIFE

皆さんこんにちは。
Life Get Better 編集長のコーヤマ・リョウジです。

みなさん、「スピリチュアル」や「宗教」というとどういうイメージがありますか?
特定の信仰があり、生活の中に溶け込んでいる人。
なんかちょっと良いイメージが無い、と敬遠しがちな人。
様々な人が居るかと思います。

日本においては、歴史的な背景もあり後者のような印象をもつ人も少なくないかと思われます。
ただ私、なんとなくで毛嫌いしてしまうのもちょっと勿体ないなーとも思っています。

というのも、「自分よりも遥かに偉大な存在」って、理不尽に責任転嫁しちゃっても大丈夫だからなんです。

真面目で、なんでも自分で頑張ろうとしてしまう人、
ついつい自分に厳しくしがちで辛くなってしまう人、
本日はそんな方々に向けて、
「しんどい思いは全部スピリチュアルなものに押し付けてしまおう」
というお話をしたいと思います。

※注意※
本記事は特定の宗教などを推奨するものではありません。
あらかじめご了承ください。

意外と身近な考え方

「うーん、スピリチュアルとか宗教とかはちょっと…」
と思われた方、ちょっと待ってください。

実はこの考え方に非常に近い風習があります。
それが「厄年」の考え方です。

皆さんの周りにも、お正月に厄払いに行った方が居たり、
中にはご自身で参拝にいかれた方も多いのではないでしょうか。

この「厄年に厄払いをする」という風習も、ある種スピリチュアルな考え方と言えるでしょう。

その起源は定かではないようですが、源氏物語などにも記述がみられることから、古くから日本に根づく風習のようです。

では、なぜこのような風習が根付いていったのか?

ここからは私の推測になりますが、
「心の平穏を保つため」だと考えています。

心の平穏を保つため、”偉大な何か”にお任せしちゃう

「厄年」についてもう少し考えてみましょう。

そもそも「厄年」とは、「今年は良くないことばかり起こるぞー!」という脅しでは決してなく、「良くないことが多く起こりそうだから、より慎重にすごしてね」というメッセージ的なものです。

そして厄年は、男女それぞれ年齢が決まっています。
これはつまり、一般的にその年齢になると身の回りに大きな変化や、思わぬ出来事が起こりやすいことから、自然発生的に対象の年齢が決まっていったのではないかと推測できます。

 ・親が高齢化してきて、体が弱ってきた/病気になってしまった
 ・仕事で昇進したが、その分激務になった
 ・自分自身の体の衰えを如実に感じるようになってきた

もちろん個人差はあるにしても、このようなライフイベントが起こるのは概ね同じようなタイミングになりそうな気がしませんか?

そして想像してみてください。
このようなトラブルが続いた時に、全部が全部「自分の責任だ」と責めてしまっていたら…

 親が病気になった → 高齢化してきたのに、私がちゃんと面倒見なかったからだ…
 昇進したら激務に → 今までの努力が全然足りなかった…
 体が衰えてきた… → これまでちゃんと健康に気を遣って来なかった自分が悪い…

ただでさえしんどいタイミングなのに、自分で追い打ちをかけていたらさすがにメンタル崩壊しそうですよね…。

きっとそんな時の心の拠り所として、先人たちは「厄年」という、「理不尽に責任転嫁しちゃっても大丈夫な何か」を、風習として作り上げてきたのでしょう。

あんまり自分を責めすぎず、気楽にいこうよ

日本人も見習いたい「It’s not my day」の心』の記事でも書きましたが、『自分ではどうにもできない大きな力』に頼るのも一つの方法です。

落ち込む心は”大きな何か”に任せてしまって、自分はしっかり前を向いて、次の一歩を踏み出せるように。

今回は「厄年」という、やや大きな例を挙げましたが、身近なところで言うと「朝の占い」なんかも同じような考え方だと思います。
ちょっとツイてなかったら、「朝の占い悪かったからな」くらいのテンションで。

もし今、あなたがツラい思いをしているなら、一回手放して、自分を労ってあげてみてくださいね。

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